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2009年03月06日 | 22:00 #
 
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目が見えない人でも、夢をみるのか?

目が見えない人でも、夢をみるのか?
「目が見えない人でも夢をみるんだろうか?」そんな単純な疑問から立てられたスレに全盲の人が登場、すばらしいことになっています。

たとえば、一人で歩いてて見ないでも四つ角がわかったり、壁が迫ってくるのがわかったりって言うことが、代表的なことでしょう。だから、歩いてて、手探りしないでも四つ角を曲がれるのはそのおかげです。

健常者はあたりまえですけど前しか目で見てないのだなと思わされます。われわれはその点、後ろから人が近づいてきたことが前からのそれとほぼ同じ条件でわかります。

でも、われわれも不思議に思うのは、全然見えなく、聞こえない、つまりヘレンケラー女史のような方でもそれがわかるので、壁がある判断は、果たして聴覚的なものなのかなと疑問に思ってたのです。

始めはこんな感じで、不思議な聴覚世界の話だったんだけど、さらにスレに耳の聞こえない人が加わり、話はディープに、彼ら固有の文化からシモの話にまで・・・

なんかさ、目の見えない人と耳の聞こえない人が会話できるなんて、PCから派生した諸々ってスゴイなと改めて思う。

太古の昔、僕ら一人ひとりの精神はきっと孤島のようなものだった。その孤独に耐えかねた人々が「神」というOSを開発、みんながそのフォーマット、ルールの上で生活を営んだ。後に、その中央集権的なOSは哲学者ニーチェに死を宣告され、ジョンが「LOVE」というよりパーソナルで分散型なOSのシェアを獲得。そしてそれらは今、さらにリアルで具体的な物体として僕の目の前にあって、こんな風にぼくらのコミュニケーションをより濃密に、より遠くへ届かせている。このスレみたいな出来事を目の当たりにしたとき、「イマジン」が夢想していた世界って、このままホントに、結構簡単に実現してしまうんじゃないかって時々思うんだよね。

目が見えない人でも、夢をみるのか?(前半)
目が見えない人でも、夢をみるのか?(後編)
聾学校での思い出と言えば、視聴障害者の子がいるんですけど、鉄棒で遊んでるかなと思ってたら、鉄棒の上に寝てるんですよ(笑)不安定なところでよく寝ていられるなと思ってたら落ちそうになって「危ない!」と叫んだ瞬間素早く体制をととえてぐるぐる回り始めて呆気とられました。その子は足の感覚を邪魔にされたくないため、靴を履くのが嫌がってました。

本能で分かってるなと思いました。

アメリカの聾者のコメディアンの話ですが、小さい頃病気にかかって病院へかつぎこまれ医者が深刻な顔して「お気の毒ですが、あなたのお子さんは耳が不自由になります」と言ったら、両親が「ワオー、ブラボー」と叫んだのです。不思議と思った医者が何故かと質問したら「自分の言葉、そして生き様を教えれる。そんな幸せなことはない!」と。そうです、コメディアンの両親は聾者なのです。

それの言葉を聞いて感激しました。
そして、うちの両親にうちが聾者として生まれてきて感謝しています。

わたしも、人口網膜で目が見えるようになるという治療法ができたとしても、しないと思います。その理由は
>>453
さんのでふれているリハビリなどがめんどくさいし、今まで気づいてきた生活ががらりと変わるわけですからね。

分かっていただけて嬉しいです。
障害が個性として認めてくれる社会が一番いいと思うんですが、みなさんはどう思いますか?
普通という定義が曖昧ですし、幸せの定義も曖昧です(笑)


らせん星雲にズーム 逆走猫
 

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